「香港ときどき公立病院(1)」実は手術&入院しておりました!

前の投稿でもちらりとお話しましたが、5/23に香港のプリンス・オブ・ウェールズ病院で外科手術を受けまして、5/21~29まで入院していました。




5/30に長男の高校の卒業式があったため、どうしてもそれに出たい一心で頑張りまして、かなりの早期退院でした。退院した時は、果たして自宅のベッドで起き上がれるのか心配していたのが嘘のように、今は普通に動けて、外出もできます(体力と食欲は元がすごかったので、その半分ぐらいになっています。人並みになったのかも、笑)。

実は問題が発覚したのが4/6。と言うことで、3月にご一緒した方は「ええ?ええー? いつの間に???」とひたすら驚くばかり。ちょっとバタバタしてると2ヶ月ぐらいすぐ経ってしまいますよね!

元々、伏線として、去年の冬から体重がどんどん減りまして。ダイエットもちょっと意識したりしていたので、正直最初は喜んでいたのです。

3月に極度の忙しさが続いた後、4月初めに体調を崩して数日間寝込みました。そして気がつけば「この体重に戻ることが出来たら夢のようだけど、無理だから諦めよう」と以前思っていた理想体重に到達し、喜んでいたのもつかの間、さらにそれよりもあっという間に1kg減ったではないですか。

これはやっぱり、不自然だ。そう思って近所のクリニックへ。とりあえず血液検査を受けました。結果は来週ね、と言われて帰宅。その夜、寝ているときに、ふとおへその右辺りに手を当てると、そこに明らかに異物感のある固まりがありました。

これはよろしくない。

ぞっとしながら夫に伝えると、夫も息を飲み「すぐ医者に行こう」。4月4日のことでした。




翌日は祝日で休診日のため、4月6日に近所のクリニックへ。血液検査の結果はまだ来ていないものの、異物感を伝え、先生も触診して同意。すぐに中環の専門医に紹介レターを書いてくれました。誰かかかりつけの方はいる?と聞かれて、いないので先生の良いと思う方で、とお願いしたのがその後の良い流れにつながりました。

その足で中環に向かい、専門医に会うとCT Scanを撮ることに。確か同日に同じビル内のクリニックで撮影。翌週結果を聞きに再び専門医を訪れました。

そこで聞いたのは、まったく予想外の結果でした。

「お腹の右側に巨大な腫瘍があります。サイズは13.5cm*8cm*8cm」

ええええ~?? 確かにスキャンにはまるで4人目かというような巨大な塊が。

そして、これは消化器や子宮の中ではなく、臓器の外にどかんと存在しているんです。

「地元のクリニックから転送された血液検査には何ら異常はありませんでした。おそらく通常の癌であれば、この大きさになっていたら転移していてもおかしくないのに、それはなさそうなところも鑑みると、10万人に1人に発生する特殊な腫瘍ではないかと推測します」と先生。

これは確実に開腹手術が必要で、他の臓器や大動脈から近く、腫瘍が浸潤している可能性があって、それは開腹してみないと分からないため、それぞれの部位の専門家を待機させての大手術になる可能性があること。一般的な小さい腫瘍であれば、自分が切除できるけれども、このケースは高度な専門知識があって、複数の器官の専門家チームがいて、最先端の設備がある大学病院で手術を受けることを勧めます、と先生。

こうしてその日中に紹介状をいただいて向かったのが、プリンス・オブ・ウェールズ病院。中文大学医学部付属の大病院です。

香港で特殊な腫瘍の権威である先生が率いる優秀で熱心で親切なチームに診ていただいて、結果的にもう感謝の念しかないのですが、そこはバリバリの公立マンモス病院、ということで、「どうなってるの~」「聞いてないよ~」なサバイバルな事件も多発。世界中を旅して暮らしてさまざまなトラブルを解決してきた経験と、この難解な謎解きアドベンチャーゲームをクリアするしかないぞという不屈の闘志で、何とか乗り越えたぞ、と自分を褒めてあげたいです(笑)。

この公立病院のあるある(強烈に素晴らしい面を実現するために、一定の側面は完全に切り捨てていることから起きる、さまざまな当惑)は、また次回例を挙げてご説明しましょう。

これは最初に入った病室からの景色!この辺のビル、全部同じ病院の敷地なんです。まさにマンモス。

このような腫瘍など出来てしまって、開腹手術なんて、と落ち込みもし、星占いなどで「今年は幸運期」なんて書いてあると「何言ってんだい」といじけていたものの、今になってみると、もうこれは大幸運期としか言いようのない、ラッキーの連続でした。

何がそんなにラッキーだったかとういうと。

1)香港の公立病院は、技術も設備も素晴らしく、治療費もほぼタダ同然。その代わり、診察予約や手術まで大変待たされてしまい病状が悪化してしまうことも、というのが最大のネック。それが私の場合は、最初の診断が10万人に1人、次に出た診断が15万に1人、開腹した結果、最終的にはまだはっきりしないものの、それをさらに上回る超レアケースらしい=大学病院としては貴重な研究材料だったことが大きいのではないかと思いますが(スキャンを見た時、先生の目がキラキラ輝いたような気がします、笑)、腫瘍がとても巨大で緊急を要することが明らかだった(どこにも転移していないらしいのが奇跡的とも。手術前の数週間は、内臓が圧迫されているのが分かって辛かったです)こともあって、通常あり得ないほどの最速で手術まで辿り着くことができました。

紹介状を書いてくれた先生も「なるべく最速で診察してもらえるように書いておくから」と言ってくれていたので、緊急性が強調されていたのではないかと。

2)内視鏡検査やらいろいろな検査の結果、おそらく十二指腸か膵臓に浸潤していて、周辺をかなり大きく切除して、再建する必要があり・・・・・・と私は人造人間にされるのか、と青くなるような説明図を何度もドクターが描いてくれました。中でも胆管を切ってつなぎ直すときに、これは2mm程度しか直径がないところを手で縫い付けるので、そこから消化液が漏れて合併症になる危険が50%あって、それが原因で死に至ることも・・・・・・などなど、医学的な説明というのは、常に最善から最悪のケースまできっちり説明してくれるので、最悪のケースを考えるとどうしても真っ青に。入院期間は最短で10日間、最悪で2ヶ月とも説明されていました。

食べるのが仕事のようなものですし、食いしん坊ですから、普通に食べられなくなるかもしれないというのは、非常に心配でしたが、この再建手術自体は珍しいものではなく、似たケースを経験したけれども、普通に今は食べられているよ、などという知人の話も耳にしました。

直前までハタから見れば、まったくいつも通りに見えていて、食は細くなっていたけれども入院前日まで「当分食べられないかもしれない」と高級寿司を週に3回も食べたりして(バカ)、もう後は頑張るしかない、戦うぞ、おー!と覚悟を決めての入院でした。

ここで秘蔵の手術直前セルフィー。どうみても重病人には見えませんでしたね。あ、ノーメイクです、笑。

それがなんと。手術自体は、全身麻酔なので、目が覚めたら終わっているわけですが。「朝8時スタートで、最低9時間はかかるので、終了は17時頃予定」と聞いていたのに、目が覚めたとき、病室が明るいんです。

ぼんやりと時計が見えたら、あら?これは昼の12時? もしかして。もしかして。麻酔がかかっているとはいえ、あまりお腹の辺りに違和感もないのです。手術後は集中治療室に入ると言われていたけれども、どうもここはそれっぽくはない。

いろいろと説明してくれている先生に「先生、まだ12時なんですか?」と尋ねると。

「そうなんだよ。予定より随分早く終わって」

「もしかして????」

「そうそう。驚いたことに、開けてみたら、どこの臓器にも血管にも浸潤していなくて、どこも切らずに、腫瘍だけを取り除くだけだったんだ」

「!!!!!!!!!!!!」

覚悟を完全に決めていたので、晴天の霹靂の喜びでした。先生達にとっても、まったくの想定外だったそうです。後から「想定していたよりも、腫瘍が下にあって、膀胱などと近かったので、泌尿器科の先生を急遽呼んで、注意しながら切除した」のだそう。さすが大病院です。そして腫瘍のせいで、やはり他の内臓が圧迫されて、位置がすっかりおかしくなっていたのを、あるべき位置にすべて戻した(ああ、その状況、動画で見てみたかった、笑)ので、体が慣れるまで時間がかかるはず、とも言われました。

お腹の傷口を見てみると、ホッチキスが33針。やっぱりこれは大手術だったんだと実感しました。

ちなみに私がいたのは集中治療室ではなく、High Dependency Unitという、一般病棟と集中治療室の中間的な病室でした(その後、血圧が急降下して、集中治療室に結局2日間送られることにはなりました)。

その時点で、体のあちこちから30本ぐらいチューブがつながれていて、もちろん寝たきりでしたが、頭と手はまったく元気で、スマホからWhatsappやらメールやらで、手術のことを知っている人に、最高の結果だったよ、とメッセージを送りまくっていました(笑)




あまり悲惨な写真を撮るのもと、ほとんど撮ってないんですが、集中治療室にいたときの様子(笑)。イギリスにいる娘とスカイプしているところを、スナップチャットで息子達が遊んでいたので、楽しそうに見えるかな、と(笑)。

大学病院ですから、大先生を筆頭にずらずらと先生たちの集団が回診に来てくれます。誰が執刀したとか、手術室にいたとか、まったく説明はないものの、以前の診察で、手術の説明をしてくれていた顔見知りの先生が何人かいて、私を見ると「君の内臓どこも切らないで済んで、僕たちも嬉しかったよ」としみじみと話してくれて、「本当にありがとうございます」とひたすら感謝、感謝でした。

3)もう一つのラッキーは、回復がとても早くて、早期退院できたこと。ただ、入院前はとにかく手術が山と思っていたけれども、実際には手術は寝ているだけで先生任せ、その後のリカバリーが大変だったんだということに気が付きました。そしてただ寝ているだけじゃなくて、自分の治す意志というのが、こんなに大切だったのかということも、その場になってみて分かりました。

こういうのも一時は十カ所以上ついていたのが、少しずつ外れていくのが嬉しかったです。

24時間のうち、自分が確実に良くなっている、と思える時間は短くて、頑張っても思ったように良くならないとか、血糖値や血圧が下がって気分が悪いとか、気持ちの浮き沈みがとても激しかったものの、これも大変ラッキーに、そのときは「ああ、全然良くならない」と落ち込んでも、翌日にはそれがクリアできている、というのの連続で、3歩進んで2歩下がる、というペースで進むことができました。

特にやる気が倍増したのが、絶対無理だと思っていた息子の卒業式に、もしかしたら出られるかも?という可能性が強まっていったこと。とにかく歩いて食べることが大切でしたから、病室の周りをやたらに歩き回って、すっかりヨレヨレになっていたものの久しぶりにスキンケアもして髪も整えて小ぎれいにして、「私はこんなに元気よ」アピールをひたすらしておりました(笑)。

退院したときにいた病室。この吊り輪が体の移動にすごく便利で、エクササイズにもなるし、家にもあったらいいのに(笑)と思った一品です。

そして卒業式前日の朝。一番仲良しの先生が来てくれて、

「退院して家でリハビリできる自信はある?」。思わず「イエーーーース」!

(まるでこれは「明日スタジオに来てくれるかな~」「いいとも~」というのとまったく同じ間合いの掛け合いでした、笑)

「よし! 本日退院を許可します」

思わず手を叩きながら、「明日息子の卒業式なんで、すごく幸せです」と言ったら、「良かったね、歩くときは、ゆっくりね」と先生、ニッコリ。私は半分泣きべそでした。

無事退院~~の瞬間!外があまりに暑くなっていてびっくりしました。

いろいろと上がったり下がったり、エピソードには事欠かないので、別途体験記を書こうと思います。

退院してから2週間、着実に元気になっているものの、やっぱりちょっと気が沈んだりもしてしまうので、こうして当時のことを振り返っていると、ああ、あのときの自分からは想像ないほど快復しているんだな、と感謝の念が蘇って、書きながら元気が出てきました。

これが卒業式での感動のショット! もうウルウルしっぱなしでした!歩くのよりも、2時間近く座っている方が辛かったですねー。

 

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