さようなら、デビッド・タン卿―香港最強の伊達男




2017年8月30日、デビッド・タン卿がお亡くなりになりました。少し前に「余命2ヶ月で、それまでにお別れパーティーをイギリスで催す予定」というニュースが流れて、健康を深刻に害されていることは知っていましたし、キラキラ輝く存在がもうすぐこの世からいなくなることに心の準備が必要なことは分かっていました。

でもそんなときに、最後の最後に自分を囲むお別れパーティーを考えるなんて、さすが心憎い、伊達男。きっとため息が出るほど美しく、愛する人たちに囲まれた、明るい夢のようなものを考えているんだろうなと、華やかなパーティーの様子をせめて楽しみにしていたのに、残念ながらその前に、そのときが来てしまったようです。

こちらは彼がオーナーの会員制クラブ、チャイナ・クラブ。

グーグルで「デビッド・タン」と検索したら、私の記事がいくつも出てきました。

デビッド・タン卿と言えば、シャンハイタンの創業者(リシュモンに売却済み)であり、東西を融合させた麗しいシノワズリ・デザインの第一人者。オーナーの一人になっているアイランド・タン、カオルーン・タン、チャイナ・タンなどの正統派広東料理店では、その類い希な美意識をいかした空間デザインも手がけていて、質の高い食とともに安定した人気を集めています。(キャセイパシフィック航空香港スタイル 「China Tang at Harbour City(チャイナ・タン ハーバーシティ店)」より抜粋)

香港ならではの大胆なほどにエレガントな空間で、繊細に作られた最高品質の中国料理をいただく―香港を訪れたら、必ず一度は体験したいこと。そんな機会にふさわしく、香港内外のお客さまから人気の高いレストランが、チャイナ・タン。上海灘の創業者として知られるデビッド・タン卿の手によるインテリアは、ため息が出るほど美しさが冴え渡っています。(キャセイパシフィック航空香港スタイル 「China Tan」より抜粋

コピーペーストしていたら、うるっと来ました。

こちらはそういえばブログに書くのを忘れていた、ハワーズ・グルメ。





香港に来てから、何百回、「上海灘創業者として知られるデビッド・タン卿によるデザイン」というフレーズを書いてきたことか。

とにかく彼の描く世界は、私にとってそのままツボ。単純に好きなのです。そして、さまざまな文化が混ざり合った香港だから生まれる高水準な美しさというのが、香港に在住してその良さを日本に伝えるという役回りの中で、とても誇らしく思えたのです。

上海灘の創業者、というフレーズが必ず枕詞のようにつくデビッド・タン卿ですが、1994年に創業して1998年にはリシュモンに売却しています。その辺の事情が長年ごちゃごちゃになっていて、日本の読者の方どころかメディアでさえも、デビッド・タン卿が今もオーナーと誤解して書いている記事が今までもとても多かったので、その事実関係を正していくことが、まるで自分の使命のようにも感じられていました(笑)。まるっきり余計なお世話ではありましたね。

こちらは惜しまれつつも店を閉じ、オンライン販売だけになってしまったTang Tang Tang Tangのオープニングイベントの写真です。左からお店の共同オーナーでもあるカリーナ・ラウ、ケイト・モス、タン卿、トニー・レオン(ええー!私服はやめて、笑)、タン卿の奥様。

写真提供Tang Tang Tang Tang

そして全然デビッド・タン卿が絡んでいると知らずに、これは素敵と近寄っていくと、あら、実はデビッド・タン卿がオーナーだったのか、と分かって、何だかもうこちらのことを読まれているような(笑)、不思議さを感じたことがありました。

例えば、「紳士のための香港」というコンセプトで店を探していたとき。全く自分には縁のないシガーのことを加えようと思って調べていて、香港を拠点とするシガーの最大手、パシフィック・シガーの創業者がデビッド・タン卿だと分かってびっくり。以前は友人がレストランをやっていた船街18號のビル、シガー会社になっていると思ったら、タン卿の会社だったのか、と。

このザ・シガー・ルームを運営するのは、パシフィック・シガー・カンパニー。実はこちらの創業者は、シャンハイタンの創業者として有名なデビッド・タン卿なのです。香港一の伊達男である彼が1991年に創業して以来、香港をベースに、東南アジアや日本にシガーを輸出しています。(キャセイパシフィック航空香港スタイル「ザ・シガールーム」より抜粋)

振り返ればいつもそこに彼がいる・・・・・・そんな気分を勝手に味わっていたのです。

私が生タン卿を見たのは、一度だけ。香港大学で、タン卿が協賛して、『ワイルド・スワン』のユン・チアン、『飛ぶのが怖い』のエリカ・ジョングなどの著名な作家を招いてのパネル・ディスカッションというのが何年か前にありまして、過去に好きだった作家の生の姿を見て声を聞くことなんてなかなかないし、デビッド・タン卿の姿も見られるということで、張り切って参加しました。

いよいよディスカッションが始まると、これがもう強烈で、進行役になったタン卿、「質問ある? (会場で複数手が上がると)はい、じゃあそこのデブ、はい次はそのハゲ!(と質問者を指名)」、「その質問つまらない、はい次」、「(ワイルド・スワンが文化大革命を題材にしていることから、政治絡みで文学と関係のない質問が飛ぶと完全に無視して)、はい次」・・・・・・言いたい放題、パキパキシャキシャキ、こんな仕切り役見たことがない! こういうキャラだったの~と驚愕したわけです。

しかしこの素晴らしいイベントも、タン卿の個人的人脈やバックアップがあってこそ、実現したのだと聞きました。

昨日、この記事を読んでとても納得が行きました。

Remembering David Tang: Stephen Fry on his ‘outrageous’ friend

一見、横暴な特権階級のやんちゃ坊主的に振る舞いながら、その中には底知れない優しさと温かさが満ちあふれている・・・・・・それがデビッド・タン卿だったんですね。どんな写真を見ても、その目の奥から、いたずらっ子のようにエネルギーが溢れていて、今度はどんな面白いことをしてやろうというオーラたっぷり。唯一無比の存在。

いつかインタビューしてみたい、楽しくお話できたら嬉しいけど、「その質問つまらない、本日の取材終了!」って切り捨てられたりして、などとも思ったり。でもいつか、と思っているとそのいつかは来ないんですね。憧れる人にはどんどん向かっていかないと!と改めて自分に言い聞かせ・・・・・・なんて自分の反省なんてどうでもいいから、あと10年、20年、素敵なものを作って、驚かせて、うっとりさせてもらいたかった、それだけです。彼が関わるものが減ることはあっても、増えることはもうないのか、というのが悲しいのです。香港の一部が欠けてしまった、そんな気がしてしまいます。

さようなら、お茶目で洒脱で心優しい伊達男、デビッド・タン卿!

 




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