来たばっかりと思っているうちに2006年に香港に来て早6年。短いようでいて、香港もそれなりに変化を遂げていることをひしひしと感じます。
幸運にも比較的すぐフリーライターの仕事を始めることができて、最初の頃に担当したのが「返還10周年」に関係する記事。この頃は2003年におきたSARSパニックの名残が今よりも香港に残っていて、「SARSの時、どうしていた」という話題が周囲で頻繁にかわされていました。別格に長い方達は別として、その頃いた駐在員のメンツもかなり入れ替わりました。
★そういえばこんな記事を書いたのが出てきました 2007年7月16日付け朝日新聞国際版リーマンショック直前でかなりイケイケドンドンな頃でしたっけ。
SARSでどん底まで落ちた香港経済を救ったのが、実は中国中央政府。ビザ取得を容易にしたことで、憧れの大都会香港に中国本土人観光客が押し寄せ、一方で香港企業の中国本土での事業展開を優遇する仕組みも作られ、景気回復に一役買ったそうです。
その頃から香港人と中国人の文化の違いから来る軋轢は始まっていましたが、かつての英国植民地の面影というのは相当薄まってきており、英語が通じない/話せない香港人もどんどん増えています。愛国教育など導入を慌て過ぎて大きな反発にあってはいますが、尖閣問題のテレビでの報道の仕方など見ていると、社会システムとしては着実に香港と中国本土の融合が進んでいるのを感じます。
その一方で、最近取材を通してとても強く感じるのが、中国や香港に根を持たない無国籍な香港人が活躍している、という印象。とにかくここのところ「国際都市香港」を体現するような新しくて突き抜けて洗練されているレストランやショップを訪ねる度に、若きオーナーは20代で、海外で育って働いて、最近香港に戻ってきて事業を始めたと、聞くことが多いこと、多いこと。また仕事で会う人達も、6年前と比べて広東語よりも英語が得意な外国帰りの香港人が非常に増えた気がします。
どうも彼らは、返還時に大挙してカナダなどに移住した家庭の子供たち世代のようで、ちょうど彼らが社会の第一線で働く年頃になってきたのでしょうか。
内側が中国化する一方で、今まで以上に無国籍な感覚が一部には広がっている。そこから生まれるうねりは正のエネルギーになるのが、負のエネルギーになるのか? あと35年を残すだけになった一国二制度の猶予期間も終わりに近づくにつれて、ますますうねりが激しくなっていくはず。
今後、香港の着地点はどこにあるのでしょうか? 先行きは果てしなく不透明なままですが、日々、歴史が着実に動いている感覚があります。実際のところ可能なのか分かりませんが、香港の良さが失われないことを願ってやみません。